横浜芝山漆器About

横浜芝山漆器の由来および現状

安永年間(1775年頃)、下総の国(千葉県)、現在の成田空港の近くに芝山村があり、大野木専蔵という人物が芝山象嵌を始めたのが事の始まりといわれております。その後、同氏は、芝山専蔵と改名し、江戸に出て芝山象嵌を広めました。
江戸を中心に受け継がれてきたこの芝山象嵌は、1859年の横浜開港によって大きな転換期を迎えました。新しく開かれた港町を行き交う外国貿易商たちは、芝山象嵌の繊細美あふれる独自の技法を高く評価し、その結果、海外からの注文が舞い込むようになったのです。そのため、江戸を初めとして各地から横浜へと職人が大量に移住し、芝山象嵌の生産が本格的に始まりました。
特に、1893年シカゴ万博博覧会に出品した真珠貝花紋小箱が入賞を果たすと、その技術は芝山象嵌に携わる職人たちに多大な影響を与え、次第に芝山象嵌から異なる道を歩み始め、横浜独自の芝山漆器が形成されるようになりました。しかし、明治・大正と隆盛を誇った芝山漆器も、関東大震災や横浜大空襲による町の崩壊、職人たちの離散などの理由から、残念ながら現在ではこの伝統技法の継承者も少なくなってしまいました。


横浜芝山漆器研究会について

横浜芝山漆器研究会では、この由緒ある伝統技法を将来へと継承し、現代の感覚にもマッチする新たな作品を制作するための努力を重ねています。


講習会

横浜芝山漆器研究会では、横浜市技能文化会館にて定例の講習会を開催しています。
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